​運動の自動化

綾屋紗月さんと熊谷晋一郎さんの共著、『つながりの作法 同じでもなく 違うでもなく』(NHK出版、2010年)を読みました。「アスペルガー症候群という診断名を得ている」という綾屋さんの感覚は、私と重なる部分もありました。今回は、「パソコンで『わたし』が起動する」の節にある、綾屋さんが「運動の自動化」と表現する現象です。私にも似た体験があります。

 

「発話器官を上手く操れない」という綾屋さんは、発話よりもキーボード操作の方がスムーズなようです。「私の思考はキーボード操作をする指先とのみ直結している」と表現しています。発話は声帯の力加減を意識的に行う必要があり、キーボード操作は無意識に行われるのだと、私は解釈しました。私の場合は、生身の運動と車の運転が、同じような関係になっています。

 

運転の場合は、「車をあの辺に持って行きたい」と思ったら、「どんな操作をするべきか」という思考を経ずに、勝手に手足が操作をしてしまいます。歩くのに足を動かす思考が必要ないのと似ています。生身の運動の場合、体は勝手に動いてくれません。どこに力を入れれば逆上がりができるのか分かりません。どう足を動かせばボールに当たるのかも分からないし、タイミングの合わせ方もわかりません。

 

「運動の自動化」とは、「体を動かす思考と指示が不要」という意味だと思います。綾屋さんは、ローマ字を思考することなく無意識にタイプできるのでしょう。私の運転の場合、視覚と手足が直結したかのような感覚があります。言語を使わずに思考が行われている感覚もあります。数字も使わず、速度差や距離を勝手に処理してタイミングを合わせてくれます。体の操作が自動化されて意識に余裕ができるので、時間を長く感じているような感覚もあります。

 

私は教習所で初めて、運動が苦手ではない人の世界が見えた気がしました。「初めてなのに、なぜかできてしまう」のは、初めての感覚でした。生身の運動の場合、「どうしよう?」と思考しているうちに時間が過ぎてしまいます。運転の場合は、この思考が不要です。スポーツが得意な人との差が、運動の自動化の有無なのだとしたら、「ズルい」と思いました。

​2022年10月10日