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​続・スポーツ嫌い

 前回の続きです。1月16日の朝日新聞の記事、「体育がスポーツ嫌い招かぬために」には、「苦手な人の思い共有して」と「自己肯定感高まる授業を」との見出しがありました。スポーツが苦手な子の自己肯定感を高める方法はないと思います。運動が苦手なだけでもバカにされるし、チームの敗戦の責任も責められます。私は、「自分なんていないほうがいい」、「生まれてこなければよかった」と、思うようになりました。

 

 私は他人から、「自己肯定感が低い」と言われることがあります。自分では低いと思っておらず、実力相応だと思っています。低いとしたら、学校と体育の影響が大きいと思います。スポーツは、プレーヤーの優劣と勝敗がつきます。全員が満点でない限り、平均点を下回る人がいるのと同じです。誰かが、その役割を負わされます。スポーツが苦手な私には、理不尽な構造に見えます。

 

 レベルの高いプロでもない限り、実力に差がなく勝敗数が拮抗するまでにならないと思います。ベストを尽くしたといえるレベルに達していなければ、チームの足を引っ張った人に敗戦の責任が向けられます。だから、全員の自己肯定感を高めるのは無理だと思います。非難する人がいなくても、できない自分に自己嫌悪に陥ります。「自分がいないほうがいい」と思ってしまいます。

 

 体育は、自己肯定感を下げるためにあると思います。私は、やらない自由が欲しかったです。やらないほうがマシです。大人になったら、サッカーが苦手でも困りません。サッカーをやらないからです。体育嫌いを研究しているという大学教授と記者も、自分が嫌いで苦手なスポーツをやって自己肯定感が高まるか試してみるといいと思います。自己肯定感を高めるより、自己肯定感を下げない方法を考えるべきだと思います。

​ スポーツなんて、やりたい人だけでやって、いがみ合えばいいのです。

2022年2月6日

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